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安倍首相辞任と石垣議員の失言に、職場の「体調不良」を考える

安倍首相の辞任と、立憲民主党の参議院議員である石垣のりこ議員の発言に対して、マネジメントとしての「体調管理」の扱いに意識の開きがあるように感じた。

安倍首相辞任と石垣議員の失言に、職場の「体調不良」を考える

安倍総理の成果と退陣

安倍首相が体調を理由に辞任を表明した。約8年もの間、重責の中、政治判断を続けた姿は大変立派なものであった。

アベノミクスと呼ばれた大胆な経済対策は、日経平均株価を20000円台に乗せるという結果で示したし、集団的自衛権にまつわる法整備では日米の軍事関係を一歩前進させた。

未曽有のCovid-19流行の中、各種特別給付金制度等の感染症対策に関する100兆円を超える補正予算とする政治判断を下した。国民の生命、医療崩壊防止のためスピード感が求められる決断に、多くの体力を要したことだろう。

北朝鮮拉致問題の解決がなされず、横田滋さんが今年6月に無念のなか亡くなられたことは、総理の言葉からも心残りであるとの意が伝わる。

8月上旬より潰瘍性大腸炎が再発されているとのことで、新しい薬の投薬で治療を行うそうである。ご健康を祈ります。

石垣議員の失言に潜む価値観

そんななか、石垣議員の言葉は非常に残念である。難病と闘い、8年間重責を務めた人物に「大事な時に身体を壊す癖」という表現で非難する行いは、あまりに人としての未熟だ。

病と闘いながらも、自分と家族の生活のため、日夜汗を流して働く人は多い。この発言は、持病を持つ人々すべてを中傷する言葉に値する。

だが、これは一般的な企業でも見られる発言である。

私のプロジェクトでも、体調不良を理由に「大事な時」に職場を休む人物が多く、進捗の遅れに苦労したものだ。

休んだ当人のいない中、欠席裁判のように「休む人が悪い」と決めつけるような発言をするメンバーもいた。私自身も、「こんな時に休むなんて・・・」と何度も負の感情を抱いたものだ。

しかし、休んだ当人も辛いはずである。望まれたパフォーマンスが出せない健康状態に陥ったことは、体調管理が万全でなかったという自責の念に囚われるだろうし、仕事に穴を開けることで職場の関係性に悪影響を及ぼす不安に駆られる。

では当人の責任に終始してしまって良いものだろうか。

体調不良の責任の所在

結果的に「体調を崩した」という事実に、当人の責任がすべてだ、と責任を押し付ける風潮があるが、体調不良に至る原因は当人に閉じた話だけではない。

多くの場合チームで働くわけであるから、体調不良で欠勤となる社員に対して、業務管理としてマネジメントが十分でなかったために欠勤したという理由が考えられる。

業務量は適切だったか、チーム編成は適切だったか。リーダーメンバーとの性格適正は相性が良いものだったか。適度なスキルレベルの向上が望めるタスクを振っていたかなど、マネジメントが与える仕事によっても精神状態と身体へ与えるストレスは増減する。

体調管理などという曖昧で広義のことばで片付けられるほど、人間の身体と精神は単純ではない。

国民全員が人体科学の専門家であれば深く理解を得られるが、真に健康体を維持することの理解と、その実践方法を日常的に徹底することは難しい。

安倍総理のように、病の発症をコントロールをしつつ業務、公務に影響なく約8年ものあいだ働き続けたことは、その裏で弛まぬ努力があったはずだ。

一般的なサラリーマンは、一日7〜8時間拘束されるという心理的、身体的ストレスを抱える。このストレスを、自身で、または会社組織がマネジメントしなければならない。

職場の環境、人間関係や業務内容、当人の自己実現のし易さなど多くの要素が絡み合うこのストレスバランスの維持を、科学的な視点で重視しているマネジメントは少ない。

残業時間などの多さを理由にマネジメントを非難することをよく見かけるが、この決め付けにも問題がある。

上記のように、勤務時間の管理だけでストレスのバランスが保たれるはずもないから、「働きすぎだ」という安直な理由に終始することは本質ではない。

働き方の心身への影響

私は、長時間労働ながらも楽しんで喜んで働く人物を何人か知っているし、短時間しか働かずも体調が優れない社員も多く知っている。

働くことで自己実現することが、現代人にとって心理学的にも高次の欲求を満たす行いであることは、マズローの5段階欲求説にも示されている。

体調が悪くとも、出勤し働くことで、調子が良くなることはないだろうか?

私は、仕事に夢中になっている間は心身のバランスが保たれ、体調不良だったが気がついた元気、という不思議な体験を、この長い仕事人生の中で何度も経験している。

昨今はプレイングマネージャの立場として働く立場だが、年間通して風邪をひくことはほぼない。発熱することも数年に一度だ。やりたい仕事をやれていること、仕事への使命感が明らかに体調にも影響している。

同様に、メンバーの体調不良での欠勤状況を見る限り、楽しんで働く人材ほど体調不良率が低い。副業で忙しい人材程、時間を無視して働いているにもかからわず、出勤し続ける。

一方、思考停止してしまっていて、淡々と業務をこなす人材ほど、体調不良率が高い。指示待ち人間となってしまい、自己研鑽が習慣化されていない人材は、自己実現の機会がなく、欲求が満たされない。

結果、ストレスによって精神が先に健康を害し、次いで身体へ不調を来たす。身体がサインを発するわけである。「それが正しい生活ではない」と。

このように、働くことでの自己実現が一定の割合で心身の健康に影響している。そう考えざるを得ない経験上の根拠が私にはある。

健康を軽視するマネジメントを正す

石垣議員がどれだけ健康体で、楽しく毎日仕事をされているか存じ上げない。しかし政治家だけでなく、我々マネジメント全員は、人が健康であることの尊さを軽視するような思考がされるならば即刻正すべきだ。

多様性が叫ばれるなか、すべての人が心身ともに健康体であることを、働き方の前提に敷くことはある種の差別だ。

安倍首相は自らの退陣理由を健康上の問題で正しい政治判断が出来かねるおそれがあるためとした。国民の運命を左右するための決断ができる健康状態ではないということだ。

果たしてどれだけその決断に心身の負荷がかかるだろうか。多くの国民は想像出来ないことだろう。国会議員であっても、先の通り軽視するほどだからだ。

我々は、いつも自分のことだけを考えがちだ。他者が何に苦しみ、何に悩み、日々努力をどのように積み上げているか。全てを想像する時間はないだろう。

せめて自分を取り巻く人々が健康に働けるよう気遣う気持ちを持ちたいものである。

その日一日を、生きれること、働けることに感謝し、互いに尊敬しあうことがマネジメントの第一歩ではないだろうか。