今から約10年前に出版され、2014年の本屋大賞第2位&山本周五郎賞にもノミネートされた、人気夫婦脚本家「木皿泉」による初の小説です。
書き始めてから完成までに九年もの月日を費やした、とてもやさしく、ほんわかと前向きになる名作です。連作短編集なので、仕事・家事・育児の合間に少しづつ読み進めることも可能です。
あらすじ
7年前、25歳で死んでしまった一樹。残された嫁「テツコ」と今も一緒に暮らす一樹の父「ギフ」が、テツコの恋人「岩井さん」や一樹の幼馴染みなど、周囲の人々とかかわりながらゆるゆるとその死を受け入れていく感動作です。
レビュー
もともとゆる~い感じの小説(吉本ばななさんとか銀色夏生さんの作品みたいなゆるさ)が好きで、独身時代はよく本を読んでいましたが、最近は忙しさを言い訳にあまり本を読んでいませんでした。
この作品はタイトルから感じたゆるい独特な世界観と、昨夜のカレーという部分が主婦あるあるだったからという、ものすごくテキトーな理由かつ、子供の本を買いに行った先で「たまには私の本でも買おうかな~」という衝動が組み合わさり、手に取ったことがきっかけだったのですが、本屋大賞第2位も納得の名作でした。
私は本を読み終えるとすぐに手放してしまうのですが、この作品は定期的に読みたくなるので手元においています。
「ムムム」という短編から始まる本作は亡くなってしまった一樹の父「ギフ」と一樹のお嫁さん「テツコ」が、広い平屋の一軒家で二人暮らしをしているところから始まります。そもそも亡くなって7年も経過しているのに二人で暮らしているという、普通ならあまり考えられない設定なのですが、登場人物たちがとても魅力的で可愛いらしく、また面白くもあり、序盤から作品に引き込まれてしまい、初めはちびちび読み進めようと思っていましたが、一気読みしてしまいました。
ギフとテツコが日々食事をしながら会話をする内容は、笑えなくなってしまったお隣さんの話題だったり、天気の話だったり様々です。
正座ができなくなった僧侶、顔面神経痛になって笑ってはいけない場面で笑ってしまい退職した産婦人科医など、くすっと笑える設定の中に、それぞれの悩みや人生が詰まっています。
何でもそつなくこなすスーパーマンのようなカッコよさや、突き抜けた才能を持っているわけではないけれど、みっともない残念なところ、変なところで恰好付けてしまうところ、人と違うゆえの悩みなど、愛すべき人間味をそれぞれの登場人物が持ち合わせているところが本作の魅力の一つです。
そんな個性豊かな登場人物が、普段の暮らしの中のあらゆる出来事を通して、亡くなった人に対する感情を昇華させてゆく様は、人生を生きていく上で「人との関わりあい・気付き・自己許容」などがいかに大切かを思い出させてくれます。
この物語の中には、「そうか、そうだったんだ」や「わかった」などの気付きの言葉が多くの場面にちりばめられています。それは常にアンテナを張って生きていないと得られない、日常の中の小さな気付きであり、その気付きから登場人物たちは「それでいいのだ」と、自身や他人を受け入れ許容し問題を乗り越えていきます。
この登場人物たちのように常にアンテナを張って「感じる」ということをもう少し意識して生活をすれば、もっとドラマチックな人生が送れるのではないか。いや送りたい!という欲がフツフツと湧き上がるのです。
あと一つこの作品の魅力として、ていねいな暮らしの描写がたまらなく良いです。私が本作を手放さず定期的に読みたくなる理由はここにあります。
平屋の一軒家の軒先、よく使い込まれた古いキッチン、庭のイチョウの木、京都で買ったお茶碗、修学旅行のお土産のキーホルダー、焼き立てのパンの香りなど、物に対する個々の思いと古くても大切に扱われている感じなんかがとても心地よくて幸せな気分になる描写が多くあり、読むたびにていねいな暮らしに憧れる私がいます。
残念ながら憧れ止まりで今のところ実践はできておりませんが、まるで自分がていねいに暮らしているような錯覚に陥り幸せな気分になれるのです。
ゆるい作品が好きな方や、いつもビジネス書ばかりで休憩として軽い読み物を探している方、忙しくて本を手に取れない方、全然本を読まない人の読書習慣の始まりにおすすめしたい作品です。日々の生活に疲れてほっこりしたい人にもおすすめです。
読んだ後はやさしい、幸せな気分を味わえます。少しだけ前向きになり、日々の生活を愛おしく思えること間違いなしです!