コモディティという言葉は耳慣れないかもしれないが、「日用品」という意味の英語である。歯ブラシやティッシュボックスらを総称してそう呼ぶ。
多少の品質の違いはあれど、「あれば良い」というのが日用品だ。
そしてコモディティ化という言葉がある。これはそれまで一般的では無かった特徴的な存在が、一般化し広く流通する様を表している。
商品としてのコモディティ化事例
例えば、スマートフォン。
スティーブ・ジョブズがiPhoneをプレゼンテーションした直後、世界中がそのユニークな発明品に熱狂した。
しかし今や各ベンダーが次々にスマートフォンを販売し、多少の品質・機能さはあれど、「タッチスクリーン搭載のネットワークデバイスである電話機」は、iPhoneの専売特許では無い。
つまり、当初iPhoneのみに見られた特徴は、スマートフォンとして多くの商品が流通したことによってコモディティ化したと言える。
非コモディティ化されたビジネスケース
そして何もこれは製品だけの話では無い。
例えば、コーヒーショップ。
数あるコーヒーショップが他店と競うものは、コーヒーの味と種類、そして料金が如何に安いかといったところだろう。
異彩を放つのはスターバックスコーヒー。
スターバックスの理念は、「サードプレイス」だ。家でも職場でも無い、第三の場所を創出することであり、コーヒーの売り上げを世界一にすることではない。
結果はご存知の通り、多くのノマドワーカーがひしめく人気のスポットとなった。ドリンクが売れていないかと言われればそんなことはなく、500円以上のかなり高い単価の高いドリンクが飛ぶように売れている。
そこに「スタバ」があれば、とりあえず寄っておくか思わせるほど、居心地の良い空間としてブランディングに成功している。コーヒーショップ業界ではスタバのほぼ一人勝ち状態が続いていた。
IT人材のコモディティ化
私が身を置く国内SIer関連のIT人材業界にもこの考えがいくつか適用できる。このコモディティ化は日本のSIer業界では多く見られる現象だ。
大手SIerが担う大規模プロジェクトでは、プロジェクト期間全体を通して数百人の人材が設計開発や運用保守を担う。
プロジェクトは、ほぼウォーターフォールシステム開発と呼ばれる手法が取られるが、これは「基本設計」工程の決定事項に従い、「詳細設計」を行われなければならない、といったように水が流れるが如く開発を進めていく。
各チームに細分化されてマネジメントが為されるが、末端のプロジェクトメンバーには独自性を求めない。
そこには規律に従い、間違いなく前工程の設計内容を汲み取る能力さえあれば良い、ルールに縛られ上層部の発想に従う、というだけのコモディティ化された人材を求める風潮がある。
この風潮は、私が働きだした2000年のミレニアムあたりからここ20年ほど、長らく続いた。この風潮の中、私のように多くのIT人材がシステムアーキテクトや中間管理職に道を進めたが、彼らの多くからは想像力が奪われた。
上流から流れてくる仕事を、下流に流すだけ。
言われた仕事を、今までやった仕事と同じようにこなすことを正義とし、そして前のプロジェクトと同じミスを繰り返す。特にマネジメントに起因したミスが多いが、業界全体の人材がコモディティ化しているため、なぜかそのミスも理解を得られてしまう。「仕方ありませんよね」と。
数百人を抱え、保守的なSIベンダーの立場からすれば、この動きは最も合理的でハズレがない。コモディティ化した人材をルールで律することで、幸か不幸か一定の成果を得られ続けたからだ。
訪れたコモディティ人材の危機
新型コロナウイルスの流行によって、世界はその逆のベクトルを人材に求めた。
ZoomなどのWeb会議システムの流行によって、ネットワークを介した仕事の仕方がスタンダードとなった。
これが大きく影響した。従来のやり方とは異なるマネジメント手法を取らざるを得ないため、過去のノウハウが一部使えない状況に陥った。
これまでSIerが頼っていたものの一つに、忖度文化というものがある。忖度文化とは、以下の3つのポイントで形成される。
・上流のご機嫌を損ねないようにアクションする。
(上司や、顧客への忖度)
・周りがやってるから自分もやる。
(周囲の同僚に対する忖度)
・今までと同じ事をやっているから問題ない。
(SIer文化への忖度)
これらの症状がSIer界隈には蔓延っている。症状と言ったのは紛れもなく大企業病の一種と考えるからだ。
そして、新型コロナウイルスはこの忖度文化を破壊し始めた。
マネジメントからすれば、出勤すればそこに誰か居る、という状況から一変し、自分から働きかけねば人は動かなくなった。姿を見せない上司へ忖度する従業員がそこにいないのだから、敬ってもらえず、仕事を貰いに来てくれないわけである。
チームメンバー間でも、空間を共有しないため忖度は起きにくい。隣のメンバーがどの程度仕事を頑張っているかデータからしか雰囲気が分からないので、コモディティ化された人材は、「その瞬間に、何がコモディティ性を持つ行動なのか」を肌で感じることが出来なくなった。
プロジェクト全体で見ると、明らかに従来とやり方を変えなければならない状況に陥った。チームメンバーが在宅ワークとなったことで、チームリーダーは指示を言語化しなければならない物量が増え、Web会議システムで詳細を説明するという、新しい仕事が増えた。
その指示を以前のように職場の同僚が自然と耳に入れている、という状況はないため、情報共有は尚の事、頻繁に行う必要性が増えた。「さっきの聞こえてたと思うんだけど」という枕詞で説明を省略することが出来なくなったのだ。
そしてこの作業は必要以上に負担があり、かつ非効率であることに気づいたフロントのエンジニアとマネジメントは、コモディティ人材へ仕事を振ることをやめてしまった。つまるところ、自分でやったほうが早いからだ。
今まで何となく出勤したコモディティ人材が普段行っていた、対面で親切に仕事を教えてもらってこなす、という可もなく不可もない仕事の仕方が消失しつつある。
スペシャリティを目指す
今後の日本社会は、一部の優秀なマネジメントと、一部の優秀なエンジニアという、非コモディティ間のコミュニケーションだけで業界が回るようになる。
すると、その中間層に位置していた大量のコモディティ人材はどうなるだろうか。現在のコロナ禍においては、IT人材の、特に未経験エンジニア志望者は、絶望的に仕事がない。
SES業界では、ほぼ全てのSES企業でプロジェクトに有り付けない社内待機人材が増加している。それは当然で、上位商流のご都合主義に従うビジネスがSESであるからだ。
経営者やマネジメントは、この機会損失を補填すべく営業に回るのだが、現在募集されている技術者は、リーダー、またはスペシャリストがほとんどだ。
理由は、2つだ。1つは、コロナ禍によってキックオフを見送ったプロジェクトは、リーダーとして主体的に業務推進出来る人材を求めている。
2つは、進行中だったプロジェクトの多くが、費用削減に追われている状況にある。最も費用がかかり、かつコントロール可能である人材リソースは真っ先に規模縮小の対象となる。
多くの現場で、プロジェクトとしてのトレーニングが済んだ自走出来るエンジニアのみでこのコロナ禍の時代を耐え凌ごうとしている。新たに募集したところで、既存の従業員の負荷となるからリスクである、という見方である。
この状況が世界的に発生していることが、転換期の始まりになると予測している。
代替の効かない人材が浮き彫りに注目を浴びるようになり、コモディティ人材は存在感が薄れた。その結果、これまで採用にこだわりの薄かった企業やプロジェクトは、慎重にならざるを得ない意識がより高まったようだ。
あなたは何が得意ですか?と聞かれて、一般的な用語を答えられたところで採用には至らない。
中途半端なコモディティ管理職は給与が高いだけの虫食い虫になり、指示が無ければ動けないコモディティエンジニアはよほどの運が無い限りプロジェクト難民となる。
より人間的な、コミュニケーションや語学、学術的見識やマインドシップ、そしてリーダーシップ。それらに秀でた人材が分かりやすく生き残っていく時代となるだろう。
個性の時代と言われて久しいが、真に能力のある個性の時代はこれからだ。コロナ禍において嘆く時間も重要だが、牙を研ぐなら今しか無い。